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えびの滑空場 [├空港]

   2011年6月訪問 2020/11更新  


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撮影年月日1989/02/14(平1)(KU884Y C3 19) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

宮崎県‎えびの市‎ 川内川河川敷内の「えびの滑空場」。

1980年代末に飛行していたところまでは確認がとれているのですが、

現在も使用しているのかどうか等不明です。

D20_0275.jpg

激しい土砂降りでこんな写真になってしまいました。


      宮崎県・えびの滑空場      

えびの滑空場 データ

空港種別:場外離着陸場
所在地:宮崎県‎えびの市‎向江‎字船戸水流 川内川河川敷
座 標:N32°03′18″E130°46′20″
標 高:217m
着陸帯:380m×70m不定形
方 位:04/22
(座標はグーグルアースから)

関連サイト:
ブログ内関連記事       


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唐瀬原陸軍飛行場跡地 [├空港]

   2011年6月訪問 2020/11更新  

 

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撮影年月日 1947/12/07(昭22)(USA M685 4)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

宮崎県児湯郡にあった陸軍の「唐瀬原飛行場」。

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

に当飛行場の要図があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。

北側に飛行地区、南側に諸施設、という配置になっていますが、

要図では南側の諸施設が集まる敷地がひし形になっているのに対し、

1947年の航空写真では、更に南側に大きく敷地が拡張されているように見えます。

資料から確認がとれないため、取り敢えず要図優先で作図しました。

おおよそこんな感じと思います。

同資料に情報がありました。

飛行場名  唐瀬原
位 置   宮崎県児湯郡川南村
規 模   要図(北東-南西1900 北西-南東1600)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 五〇〇名分
 格納施設 飛行機庫
摘 要   施設軍有 


■防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日

の中にも当飛行場の資料と「要図」がありました。

以下資料を引用させて頂きます。

唐瀬原
判決 自重5屯以下の使用に適す
滑走地区 1,600x200
舗装路 なし
土質 砂質火山灰
地表面の状況 表面張芝にして地耐力概ね可なり
周辺の障碍物の有無 次等恒風なる時西側山地に注意を要す
誘導路 1,300x10  1,800x30
宿営 兵舎5棟(250名収容可)
夜間着陸設備 なし
動力線 なし
電灯線 配線しあるも暴風のため大なる復旧を要す
給水 水道施設あるも発動機の復旧を要す
風向 東風

 



■陸軍空挺部隊

パレンバン降下作戦等で知られる「陸軍空挺部隊」。

浜松で発足した空挺部隊はその後、満州白城子を経て宮崎県新田原基地(赤いヒコーキマーカー)に移駐しました。

間もなく唐瀬原に空挺部隊訓練用の「川南基地」が完成し、そちらに移駐しました。

ヒコーキで降下訓練を行うのですが、その降下場所は唐瀬原のJA施設付近(赤マーカー)に造られました。

隊員たちは川南基地から列車で約15km先の新田原基地に移動、ヒコーキに搭乗し、

約18km先の唐瀬原に降下するという訓練を繰り返したのだそうです。

後にその唐瀬原に「唐瀬原(からせばる)陸軍飛行場」が完成したのでした。

落下傘の練習が始まると、輸送機から次々と純白の花開く光景がよく見られるようになったのですが、

傘が開かないまま黒い粒が垂直に落ちていく光景も何度か見られたのだそうです。

D20_0269.jpg

青マーカー地点。

挺進第三連隊が使用していた給水塔。

車と比べて頂けると、その巨大さが分かると思います。

独特な形状が放つ圧倒的な存在感。もの凄く目立ちます。

この給水塔の地下に井戸が掘られており、そこから水を汲み上げて塔頂部のタンクに貯水して給水したのだそうです。

同様のものが他にもあったのですが、現存するのはこれが唯一だそうです。

D20_0270.jpg

給水塔拡大。

よーく見ると右側に雫が見えます。撮影時、大粒の雨が降り始めていたのでそのせいだろうと思っていたのですが、

この給水塔は現役であり、晴れていても水漏れがあると書いているサイト様がありました。

D20_0258.jpg

紫マーカー地点。

護国神社に碑がありました。

(一部抜粋)昭和十六年 川南村にあった広大な軍馬補充部の牧場が落下傘部隊の 降下場に転用され 同年九月から使用を始めた 翌十七年には兵営が建設され 数千の落下傘兵がこの地で練武に励んだ 天下る落下傘兵は 天孫降臨になぞら えて空の神兵と称され 村人の庇護後援のもと精鋭誇る空挺部隊が錬成され 次々と南の決戦場に出て征き活躍した

ここは奥まっていて分かりにくいです。

「ホテル竹乃屋」、「川南町老人福祉館」の裏手で、「こんな奥まで入っていいのかしらん」という場所でした。

D20_0273.jpg

唐瀬原飛行場の飛行地区は現在こんな感じ。

撮影時は激しい雨がなかなか止まず、こんな写真でス。


      宮崎県・唐瀬原陸軍飛行場跡地     
降下場は、1日約1万人の手作業で50日で完成。飛行場は1年半、全ての完成には約2年かかったのだそうです。第一挺進団の中から沖縄の読谷、嘉手納飛行場に強行突入した義烈空挺隊が編成されました

唐瀬原陸軍飛行場 データ
設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:宮崎県児湯郡川南村(現・児湯郡‎川南町‎川南‎)
座 標:N32°13′30″E131°33′04″
標 高:39m
飛行地区:1,900mx1,600m不定形
滑走地区:1,600mx200m
(座標、標高はグーグルアースから。他は防衛研究所収蔵資料から)

沿革
1940年12月 陸軍浜松飛行学校に練習部創設。落下傘部隊の要員養成と調査研究始まる
1941年01月 地上訓練始まる
     02月 第一回降下実施。飛行場は浜松飛行場、降下場は浜松爆撃場を使用。要員増加に従って手狭になる
     05月 中国東北部(満州)の白城子に移動。白城子陸軍飛行学校練習部となる
        しかし当地は中央から遠く、寒冷時の訓練は著しく困難であるため再移転の必要が出る
     10月 新田原に移動。航空総監直属の陸軍挺進練習部となる。
        飛行場は新田原、降下場は唐瀬原の軍馬補充部の牧場を転用される。
     11月 挺進第一連隊編成
1942年01月 挺進第一連隊の搭乗船明光丸、南シナ海で撃沈される。挺進第二連隊の編成急ぐ
     02月 挺進第二連隊、パレンバン挺進作戦。その後様々な作戦に参加する

関連サイト:
ブログ内関連記事(滑走路写真の記事)    

この記事の資料:
宮崎の戦争遺跡
防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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木脇(六野原)飛行場跡地 [├空港]

   2011年6月訪問 2020/11更新  


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撮影年月日 1947/01/25(昭22)(USA M25A-20 103)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・2枚とも)

宮崎空港から西北西約19kmに位置する宮崎県‎東諸県郡‎国富町‎三名‎。

現在は広々とした畑が広がっていますが、かつてここに「木脇(六野原)飛行場」がありました。

沿革にも書きましたが、1926年には陸軍補助着陸場になっており、仮設滑走路約700mが設けられていました。

その後1942年から1年半かけて陸軍の飛行場として整備したのでした。

当地は古くから飛行場適地として目を付けられていたのですね。 

 

■防衛研究所収蔵資料「第四十一航空地区飛行場記録 昭和二十年九月二十日(陸空-本土周辺-114)」

の中で、当飛行場の要図がありました。

かなりアバウトなものなんですが、1947年の航空写真と比較しながら作図しました。

飛行場境界線は、現在までほぼそのまま残っている感じなんですが、東側の方形に飛び出している二か所については、

かなり不明確なため自信ないです。 

同資料内にあった「木脇飛行場記録」を以下引用させて頂きます。

判決 自重三屯程度の飛行機の使用に可
飛行地区
 滑走地区 一六〇〇x六〇〇 張芝舗装
 舗装路 なし
 土質 粘質壊土 地表面張芝にして地対力概ね可
 周辺障碍物の有無 なし
付属地区
 誘導路 なし
 宿営 三角兵舎十二棟(二五〇名収容可)
 夜間着陸設備 なし
 動力線 なし
 電燈線 三角兵舎に配線ありしも暴風に依り大部破損しあり
 給水 井戸約五ヶコ?有するも水量少
風向 西北風多く海陸風の影響あり

実は同資料では、終盤の頁で当飛行場の「要図」と「飛行場記録」がコンパクトにまとめられて再登場しているのですが、

両者には細かな差異があります。

以下異なっている箇所を列挙します。

・判決:「自重三屯程度の飛行機の使用に可」→「自重3頓程度の飛行機(練習機)の使用に適す」
・滑走地区:「張芝舗装」→「張芝転圧」

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

にも当飛行場の情報がありました。

飛行場名  木脇
位 置   宮崎県東諸県郡木脇村
規 模   要図(北西-南東1400 東西1350)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 五〇〇名分
 格納施設 掩体 三〇ヶ所
摘 要   施設軍有

D20_0254.jpg


D20_0247.jpg

紫マーカー地点。

跡地の一角に公園があり、碑がいくつかまとまって建立されていました。

「大刀洗陸軍飛行学校 木脇教育隊記念碑」

碑文(全文) 広大な六野原台地は、太平洋戦争中の昭和十八年十一月、大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊が開設され、昭和二十年五月までの一年六か月、当時の熾烈なる時局化、全国各地から愛国の至情に燃えてまだ少年の面影を残す若人達が、碧空に夢を託し連日飛行訓練に精励した地である。時はうつろい、四十有余年の歳月は緑豊かな農地に変容し、思いでの基地一帯は当時をしのぶすべもない。時あたかも平成元年、各方面の関係者により記念碑建立の気運高まり、本年六月奉賛会が結成された。ここにその青春の群像を讃えるとともに恒久平和への願いをこめて碑を建立する。平成元年十一月十八日 記念碑建立奉賛会 国富町長(以下氏名) 国富町議会議長(以下氏名) 在隊者代表(以下氏名) 在勤者代表(以下氏名)

他にも記念植樹の際の碑など、いくつかあったのですが、省略させて頂きますm(_ _)m 

D20_0257.jpg

現地にお邪魔した際、偶然みつけたトーチカ。

全部で4つ現存しています(グーグルマップ赤マーカー)。

飛行場敷地東半分に集中しているのですが、西側にトーチカは作らなかったんでしょうか?

撤去したのかしらん。

無題1.png

これは敷地北西を一部拡大したものです(グーグルマップオレンジマーカー)。

敷地境界線すぐ外側に位置しており、矢印部分の物体がオイラには無蓋掩体壕に見えます。

幅は15~20mあり、大きさとしては申し分ないと思うのですが、

「木脇飛行場 掩体壕」で検索しても、それらしいものはヒットしないんですよね。

木々に囲われていて、位置としては申し分ないと思うのですが。。。


      宮崎県・木脇(六野原)飛行場跡地      

木脇(六野原)飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:宮崎県‎東諸県郡‎国富町‎三名‎
座 標:N32°01′26″E131°20′49″
標 高:99m
飛行地区:1,600m×600m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1926年01月 仮設滑走路「飛行第四連隊野外飛行演習六野原補助着陸場」完成。約700m 
        地元の在郷軍人会が建設に従事した。茶屋と吹上の中間点辺りにあり、滑走路は南西から北東にのびていた
        同年冬、飛行機が三機飛来し飛行演習。見物者多数
1942年04月 陸軍省、飛行場計画地に決定
     11月 15日 起工式
1943年11月 大刀洗陸軍飛行学校 木脇教育隊訓練場完成 
1945年03月 21日 初空襲
     05月 戦局の悪化、再三の空襲により操縦訓練場としての機能を喪失したため、
        鳥取県湖山飛行場(後の鳥取市営飛行場)に全隊員移動、木脇教育隊操縦訓練場閉鎖

関連サイト:
国富町/大刀洗陸軍飛行学校・教育隊     
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この記事の資料:
宮崎の戦争遺構
防衛研究所収蔵資料「第四十一航空地区飛行場記録 昭和二十年九月二十日(陸空-本土周辺-114)」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」


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大淀川臨時場外離着陸場 [├空港]

   2011年6月訪問 2020/11更新  


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撮影年月日2006/06/20(平18)(KU20067X C2 17) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

宮崎県‎都城市、 大淀川河川敷にあるラジコンヒコーキ用滑走路。

先頭のグーグルマップの黄色で囲った部分、拡大すると、よく整備された滑走路、エプロンが確認できます。

D20_0236.jpg

赤マーカー地点。

土手の上から左側を向くと、ご覧の通りでラジコンヒコーキ用の滑走路があります。

ここはとても変わっていて、画面右側には・・・

D20_0237.jpg

このように水路があるのですが、

毎年11月に「スカイフェスタin都城」が開催され(2年に1度という説もある)、

その時だけこの水路が暗渠化されて画面右側にも滑走路が継ぎ足され(先頭のグーグルマップのオレンジで囲った部分)、

全長600mの「大淀川臨時場外離着陸場」として使用していました。

D20_0239.jpg

ラジコン滑走路側に移動しました。

ご覧の通り水路の向こう側も広々しています。

水路を埋めてしまうことで、600mの文字通り「臨時」着陸場になるわけです。

こんな滑走路もあるんですね~ (@Д@)

現在のグーグルマップにもラジコンヒコーキの滑走路はキレイに整備されている様子が写っているのですが、

水路の向こうまで使用する毎年11月開催の「スカイフェスタin都城」、

ネットでは2009年までは確認できるのですが、その後確認がとれません。

どうなっちゃったんでしょう。。。


      宮崎県・大淀川臨時場外離着陸場      

大淀川臨時場外離着陸場 データ

空港種別:臨時場外離着陸場
所在地:宮崎県‎都城市‎下水流町‎
座 標:N31°48′05″E131°06′33″
標 高:113m
滑走路:600m
方 位:05/23
(座標、標高はグーグルアースから)

関連サイト:
スカイ・レジャー・ジャパン’07イン都城    
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787就航 [├雑談]

昨日、787が路線デビューを果たしましたね。

「初就航先はどこになるんだろう?」と様々な憶測が飛び交いましたが、

初の就航先は「岡山」でした。

ところで当ブログでは2010年3月24日に「どの路線にデビューする? 787」というアンケート記事 を書きました。

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございましたm(_ _)m

いろんな空港を挙げて頂いていたのですが、唯一「岡山」と書いた方がおられました。

「おろ・おろし」さんです。

おめでとうございました。ヽ(*´ヮ`)ノ

 

昨日ラジオでやってたのですが、787に搭乗した記者さんたちが湿度計を持ち込んでおり、

25~30%もあったのだそうです。

通常の旅客機は5%程度ですから導入した加湿器の効果は絶大ですね。

これで長時間のフライトでもお肌スベスベですよ。(o ̄∇ ̄o)

今後この快適飛行機が続々と導入されるようになります。

製造が順調に進んで欲しいです。

 

それから当ブログは本日からとりあえず1ヵ月間、月~土まで週6記事アップ致します。

内容は相変わらずですけども宜しくお願い致します。


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