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舞鶴航空基地 [├空港]

   2011年10月訪問 2020/12更新  



京都府‎舞鶴市にある「舞鶴航空基地」。

2001年運用開始した海上自衛隊唯一日本海側の航空基地です。

災害救助、潜水艦追跡等行っているのだそうです。

D20_0025.jpg


      京都府・舞鶴航空基地      

舞鶴航空基地 データ

設置管理者:防衛省
空港種別:軍用飛行場
4レター:RJBM
所在地:京都府‎舞鶴市‎長浜‎
標 点:N35°29′22″E135°22′36″
標 高:6m
滑走路:400m×45m
磁方位:12/30

沿革
2001年03月 運用開始

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舞鶴教育隊(旧海軍舞鶴海兵団) [├空港]

   2011年10月訪問 2020/12更新  


無題b.png
撮影年月日1963/04/27(昭38)(MKK632X C7B 4) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

京都府‎舞鶴市にある「海上自衛隊 舞鶴教育隊」。

ここは元「海軍舞鶴海兵団」で、滑走路がありました。

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

ここは飛行場の地図等資料がないため、完全にオイラの主観で線を引いてます。

1952年よりも昔の写真ではこの部分が真っ白で、

その後見えなくなっています。

D20_0021.jpg

なんとか滑走路跡を撮りたかったのですが無理だったので、正門の写真


      京都府・舞鶴教育隊飛行場跡地      

海軍舞鶴海兵団飛行場 データ

種 別:陸上飛行場
所在地:京都府‎舞鶴市‎市場‎
座 標:N35°28′53″E135°23′54″
標 高:3m
滑走路:440mx15m?
方 位:15/33
(座標、方位はグーグルアースから)

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饗庭野離着陸場 [├空港]

   2011年10月訪問 2020/12更新  



滋賀県‎高島市にある「陸上自衛隊 饗庭野(あえばの)演習場」。

演習場内に「饗庭野離着陸場」があります。

D20_0020.jpg

ぐるりと回ってみたのですが、滑走路を視認することができず、上の写真は滑走路南側から撮りました。

奥の木がこんもりしている先に、左右に滑走路が伸びているはずなのですが…


      滋賀県・饗庭野離着陸場      

饗庭野離着陸場 データ

設置管理者:防衛省
所在地:滋賀県‎高島市‎今津町下弘部‎
座 標:N35°24′08″E136°00′39″
標 高:136m
滑走路:840m×25m?
方 位:06/24
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

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鯖江不時着場跡地 [├場所]

   2011年10月、2018年5月訪問 2022/1更新  


7.png
1934年(昭和9年)5月調査資料添付地図
Translation No. 29, 20 February 1945, Airways data: Chubu Chiho. Report No. 3-d(27), USSBS Index Section 6 (国立国会図書館ウェブサイトから転載)

無題l.png
撮影年月日 1948/10/13(昭23)(USA M1184-A 116)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福井県‎鯖江市にある‎丸山公園。

かつてこの周辺は旧陸軍歩兵第36連隊の鯖江練兵場でした。

そしてちょうど丸山公園の付近に「鯖江不時着場」がありました。

■「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」(1934年5月調)に図があり(下記リンク参照)、

先頭のグーグルマップは、この図から作図しました。

とっかかりが無くて精度に自信ないんですが、大体こんな感じと思います。

2本の滑走路がX字に交差する形状となっていて、

資料には、北西~南東方向の滑走路が(1)、 北東~南西方向の方が(2)と番号が付いています。

■防衛研究所収蔵資料:「航空路資料第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19.6 水路部」

の中にも当不時着陸場の付図があるのですが、そこには(2)北東~南西方向の1本の滑走路しか描かれていません。

1934年には2本だったものが、1944年には1本に減っている訳です。

付図を見ると、元滑走路があった部分には、特に何かか建設されたという形跡はなく、

単に滑走路としての設定が外されたようです。

こういうパターンもあるんですね。

まあ元々飛行場ではなく演習場ですからね。

同資料に当着陸場に関する情報がありました。

以下引用させて頂きます。

第7 鯖江陸軍練兵場(昭和17年11月調)
管理者 中部第64部隊。
位置 福井県今立郡神明村
   (鯖江町の北方約4.2粁、35°58′8N、136°11′0E)。
種別 不時着陸場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約15米。
広さ及形状
 着陸地域は本練兵場の北西部に於て長さ北東-南西450米、幅100米の長
方形地域なり(付図参照)。
地表の土質
 粘土混りの尋常土。
地面の状況
 着陸地域及周囲一帯は陸軍大演習の際基地トシテ使用する目的にて整地工
 事を施せるものなり・地表は概して平坦なるも北方に向け緩除なる下り傾
 斜を成す・地盤は概ね堅硬にして殆ど一面に芝密生す・降雨後の排水良好
 なるも冬季積雪1.5-2.0米に達するを以て融雪期には諸処泥濘となる。
場内の障碍物
 着陸地域の北西端付近に長さ8米、幅5米、深さ2米の穿孔、其の南側に
 高さ4米の独立樹あり。
適当なる着陸方向
 北東及南西の2方向に限る、北東より着陸する場合は北東方約650米に在
 る射撃場の中央部より直進降下し高さ20米の煙突を右に見、前方丸山の
 右外側に向け着陸するを適当とす。
離着陸上注意すべき点
 北東方約500米に高さ20米の煙突、北及北東方270米の練兵場境界付近に
 高さ各17米の煙突、南西方約150米に高さ6米の普通電線1條あり、何れ
 も離着陸方向の見通線上に在るを以て警戒を要す。
施設
 なし。

周囲の状況
山岳及丘陵
 南端付近に場面よりの高さ10米の丸山、其れより南東方約350米に琵琶山
 と称する丘陵連互する高さ30米の高地あり、又北方約1.2粁に高さ182米
 の經ヶ岳の山脈あり北方に向け連互す・其の他の周囲は水田又は畠地にし
 て地貌平坦なり。
樹林
 南方丘陵性高地上に高さ8米内外の松樹林あり、東方200米付近に高さ10
 米内外の雑木林あり、又西方約350米、北方約250米付近に8-10米の松
 樹林あるも離着陸方向には障碍となる樹林なし。
堤防
 場の北端より北方約80米に在る浅水川の両岸に堤防あり、離着陸の際目障
 りとなる。
河川及湖沼
 北方約80米に北西流する浅水川あり、本場付近に於ける河端約40米なり、
 又西方約2粁の平野の中央を北流する吉野瀬川あり・南方約370米に長さ
 90米、幅40米の溜池あり。
煙突
 着陸地域の北東端より東方約80米及北方約160米に高さ各17米、又北東
 方約270米に高さ20米の煙突各1基あり。
建築物
 着陸地域の南西端付近に厠1棟及北方浅水川の南側に建物2あるも何れも
 障碍とならず。
電線
 南西方約150米に略南北方向に架設せる普通電線1條あり。
着目標
 鯖江町、北陸道、中部第64部隊兵営、浅水川。

地方の状況
市街
 南方約4.5粁に鯖江町、其れより更に南方5粁に武生町あり、鯖江町は人
 口約5,000にして鯖江憲兵分隊、警察署及郵便局等の諸官衙及学校の所在
 地なり。
軍隊
 中部第64部隊(丹生郡立待村)南方約1粁・鯖江憲兵分隊(今立郡鯖江町)
 南方約4粁。
警察署及役場
 鯖江警察署(今立郡鯖江町)南方約4粁、神明駐在所(同郡神明村字岡野)
 南東方約1粁・神明村役場(同上)。
医療
 神明村字水落(南方約2粁)に鯖江陸軍病院あり・神明村内に地方医3あ
 り。
宿泊
 神明村内に旅館1、鯖江町に旅館11(収容員数計150)あり。
清水
 付近の民家に水質良好なる井戸あり。
応急修理
 神明村に鉄工場2、中部第64部隊内に鍛冶工場あるも何れも期待し得ず。
航空需品
 航空用燃料は付近より需むるを得ず。

交通、運輸及通信
鐡道及電車
 鯖江駅(北陸本線)南方約4粁・南方約10粁の武生町より北方福井市間に
 福武電気鉄道線あり、最寄停留所は鳥羽中(東方約700)なり。
道路
 場の東方約800米に北は福井市、南は鯖江及武生町を経て米原方面に通ず
 る国道(北陸道)あり、着陸場より村道に依り之に連絡す。
車馬及運送店
 神明村に合同運送会社1、貨物自動車3及荷馬車10あり。
電信及電話
 神明郵便局(電信及電話取扱)南方約1粁の中部第64部隊の南隣に在り。

気象
測候所
福井測候所(福井市日の出下町)北北東方約10粁、航空気象観測せず・今
 立農学校気象観測所(今立郡舟津村上鯖江)南方約4.5粁。
地方風
 福井測候所に於ける2557年至2600年44箇年間の月別統計を参考に記載
 す(以下月ごとのデータ省略)
天候
 今立農学校気象観測所に於ける昭和2年至同13年(11年缺)11箇年間の
 月別雨雪日数次の如し(以下月ごとのデータ省略)
 尚参考に福井測候所に於ける2557年至2600年44箇年間の月別統計次の
 如し(以下月ごとのデータ省略)
地方特殊の気象
 夏季雷雨の襲来すること多し・濃霧の発生は1月及2月に多く、7月之に
 次ぐ・冬季(12月-翌年3月)は降雪多く積雪量は1月最も多く昭和3年
 至同13年11箇年の統計に拠れば同月に於ける1日の最大積雪量1.3米に
 して平均0.7米なり。

DSC_0120.jpg

青マーカー地点。

(1)北西~南東方向の滑走路は、画面右側から奥に向かって伸びていたはずです。

DSC_0119.jpg (2)

赤マーカー地点。

北東~南西方向の滑走路は、ここから奥に向かって伸びていたはず。


      福井県・鯖江不時着場跡地      

鯖江不時着場 データ(主に水路部資料昭和17年11月調から)

管理者:中部第64部隊
種 別:不時着陸場
所在地:福井県今立郡神明村(現・鯖江市‎丸山町‎4丁目‎)
座 標:N35°58′8″E136°11′0″
標 高:15m
滑走路:
(1)550mx100m(13/31)
(2)450mx100m(04/22)
(方位はグーグルアースから、標高、滑走路長さは「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」から)

沿革
1896年 連隊本部設置
1933年 陸軍演習の際、参加した陸軍機、新聞各社の機体の離着陸に使用される
1934年 5月頃は滑走路2本
1944年 6月頃は滑走路1本

関連サイト: 
「航空路資料 第4 昭10-1 中部地方不時著陸場」  
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「航空路資料第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19.6 水路部」


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愛宕航空基地(鯖江/本保飛行場)跡地 [├空港]

   2011年10月訪問 2022/1更新  


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撮影年月日1948/03/19(USA R1154 2)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
 

福井県‎越前市、海軍の「愛宕航空基地」「鯖江(さばえ)/本保(ほんぼ)飛行場」跡地。

未完成のまま終戦を迎えた飛行場で、現在周辺には田んぼが広がっています。

(1機だけ離着陸があったそうですが)

先頭のグーグルマップは、上に貼った航空写真から作図しました。

■「航空特攻戦備」第2期 として以下記載がありました(下記リンク参照)。PUTINさんから情報頂きましたm(_ _)m

方面  舞鶴
牧場  愛宕(福井)
滑走路 五〇×七〇〇
縣郡村 福井、丹生 □□村
記事  七月末既成(愛知社)

■地元図書館の市史に「・幻の飛行場」という項目があり、

「豊地区の上野田上氏家から余田町本保町にかけての水田が予定地になっていた。戦闘機が離着陸するには広大な土地が必要であり、この工事自体秘密裏に行うことが絶対条件なので、内容を知らせずに周辺から勤労奉仕隊として愛国婦人会など中心に動員をかけて滑走路造りを始めた。しかしほどなく終戦を迎えたために、丹南での飛行場造りは幻となり、計画自体も闇から闇へと葬られた」

とありました。

地元の方にとっても「闇から闇に葬られた幻の飛行場」なのですね。

D20_0004.jpg

青マーカー地点。

ここから奥に向かって滑走路だったはず。


      福井県・愛宕航空基地(鯖江/本保飛行場)跡地      

愛宕航空基地(鯖江/本保飛行場) データ

種 別:陸上飛行場
設置管理者:海軍
所在地:福井県‎越前市‎余田町‎
座 標:N35°56′03″E136°09′12″
標 高:24m
滑走路:700m×50m
方 位:17/35
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年08月 建設途中で終戦

関連サイト:
「航空特攻戦備」第2期(21コマ) 
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この記事の資料:
鯖江市史 通史編下巻


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中部・近畿旅行・3 [■旅行記]


Ⓐ道の駅さかい→Ⓑ愛宕航空基地跡地→Ⓒ鯖江不時着場跡地→Ⓓ饗庭野離着陸場→Ⓔ舞鶴教育隊→Ⓕ舞鶴航空基地→Ⓖ舞鶴非常用滑走路跡地→Ⓗ長田野離着陸場→Ⓘ福知山航空基地跡地→Ⓙ竜王かがみの里(車中泊)

 

3日目

5:00 起床。

5:30 出発。

道の駅から少し離れた山の中にある小さな滑走路に向かいました。

6時に山の入り口到着。

車がやっと1台通れる幅の未舗装道路を上り始めました。

事前の下調べでは、ここから道なりに上っていけば滑走路へ出られるはず。

…と、ここまでは計画通りだったのですが、実際に走ってみると、道は結構分岐しています。

道は狭く、暗く、轍が深くて腹を草で擦り擦りの走行です。多分軽トラで丁度いい道なのでしょう。

轍が深い場合、轍を跨げば腹を擦らずに済むのですが、

片側が崖だったり山肌が迫って来ていたりで、轍を避けるスペースがありません。

こういう山道ではありがちですね。

…完全にフィットで走るのが場違いな状況になって参りました。

こういう時ばかりはジムニーとかに乗りたくなります。

恐る恐る進んだ先が行き止まりだったり、オイラの車ではもう通れなかったりで、

Uターンのための十分なスペースもなく、

泣きそうになりながら何度も切り替えして方向転換したり、ずーっとバックしたり…。

運転を誤ると、ただ事では済みません。

約30分間、あっちの道、こっちの道と、ナビと地図を突き合わせ、歩いて探したりもしたのですが、結局見つからず。

人に会ったら尋ねようと思ったのですが、人は現れませんでした。

残念ですが、諦めて次に向かうことに。

ここが昨日の夕方、「無理すれば見学できるかも」と思っていた場所だったのですが、

もしも昨日無理して来ていたら、こんなギリギリの山道がどんどん暗くなっていったわけで、

滑走路は見つからないし、夕焼け写真も撮れないしで散々だったはずです。

と考えることにした。

 

その後ガストで朝食。

この後はすぐ近くに図書館で調べないといけない場所があるので、

7時~8時までゆっくり時間調整。

とは言っても記録つけたり、今日の予定の資料を並べたり確認したりで時間はあっという間に過ぎてしまいます。

そして9時丁度に図書館に着いたのですが、開館時間は10時ですた。。。 _| ̄|○ il||li

事前に調べてないオイラが悪いんですけど、立派な施設だからてっきり9時開館だと思ってました。

近くのファミマで昼食のお握り購入。ナビに見学場所の打ち込みをすることに。

図書館で調べものをした後、福井県内の「鯖江不時着場跡地」、「愛宕飛行場跡地」、そして

当図書館で発見した未知の飛行場跡地の見学。

その後、滋賀県に移動して琵琶湖の西岸にある「饗庭野飛行場」へ。

D20_0017.jpg

「饗庭野飛行場」附近にて。

その後京都府に移動。

初日に長野県を経て、二日目、三日目で富山県→石川県→福井県→滋賀県→京都府と日本海側を西に進んできたのですが、

ここまでは主に前回撮り損ねたり、前回は場所が分からなかったりで、再度お邪魔した箇所なのでした。

そして三日目の午後にしてやっと、まだ一度も踏み込んだことのないエリアに。

ということで、京都府の「舞鶴教育団隊」、「舞鶴航空基地」、「舞鶴の非常用滑走路跡」、「長田野飛行場」見学。

16:47 「福知山飛行場跡地」を撮影したところで時間切れ。

更に西側に進みたいところなのですが、残念ながらここまで。東に向きを変えました。

ここから自宅方向に太平洋側にも撮り残しがたくさん残っているのです。

明日以降、残っている箇所を拾いつつ戻り始めることにしました。

びわ湖東岸に見学したい場所があるので、その近くの道の駅まで移動開始。

 

途中、京都のスーパーで夕食。

焼きサバ寿司と和菓子購入。

なっ、なんで普通のスーパーのパック寿司と和菓子がこんなに美味しいの?? 京都ズルイ。

しかし京都は広いですね。

今日は午後からひたすら走っているのですが、なかなか京都から抜け出せません。

あ、それから京都って、もしかして飛ばす人多いですか?

たまたまなのかもしれませんが、知らない道を恐る恐る走っていると、

物凄い勢いで抜かされます。

なにわナンバーのオンロードバイクが京都ナンバーのバイクに煽られて道譲ってるところも目撃しました。

 

21:10 滋賀県の道の駅・「竜王かがみの里」到着。

21:43 寝る。

おやみなさい。

 

本日の走行距離:399km

(続きます)


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三国(芦原)飛行場跡地 [├空港]

   2011年10月訪問 2022/4更新  


無題f.png
撮影年月日1947/11/04(昭22)(USA M626-B 2) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

福井県‎坂井市‎にあった「三国(芦原)飛行場跡地」。

周辺は整備された田んぼが広がっています。

■防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」

に 1/25,000 三國飛行場(昭一八・八・五)があり、先頭のグーグルマップはここから作図しました。

要図には、 南北方向の滑走路:1,750mx300m、北西~南東方向の滑走路:1,800mx375m

と記入がありました。

同資料の情報を以下記させて頂きます。

位置
 福井縣坂井郡芦原町
積量
 (記載無し)

■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」

飛行場名  三国
位 置   福井県坂井郡芦原町
規 模   要図(南北1750 北西-南東1600)
舗 装   ナシ
付属施設
 収容施設 五〇〇名分
 格納施設 掩体 大三ヶ所 小一二ヶ所
摘 要   施設軍有

 ■「戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」の中で当飛行場について扱われていました。

以下一部引用させて頂きます。

「南北1200 幅400が主滑走路で、これと斜めに交差する東西の滑走路も大半工事を進めたが、未完成のまま終戦となった。(中略)芦原は温泉街であったが、戦時中男子は応召や徴用にとられ、女子は軍需工場有上陸用舟艇の部分品等を造らされた。今の「芦の湯」は「鷲の湯」という名で飛行場の兵士・作業員に開放されていた。」

「1945年7月中旬以降B-29の来襲熾烈になった。この反撃作戦として第11飛行師団は、B-29の通り道に、待ち伏せの待機空域を京都西方約15kmの上空とした。ここに技量甲、乙の操縦者の戦闘機を待機させて、攻撃させる。これらの戦闘機のための着陸飛行場として、三木、福知山、三国の3飛行場が定められた。」

D20_0089.jpg

赤マーカー地点。

ここに陸軍杭、碑がまとまっています。

D20_0095.jpg

碑文(全文) 本地区は古くより緑深い森林地帯であったが昭和十八年太平洋戦争のため陸軍飛行場として買収され、国家総動員体制の下、学生、老若男女を問わず動員され勤労奉仕が行われたところである。昭和二十年、終戦とともに食糧緊急確保のため、国策により池上(増反)城ヶ原(入植)両開拓農業協同組合が設立され、この荒地の開畑に辛酸を舐めてきた。昭和三十六年、米増産のため団体営土地改良事業を起し、地下水利用の畑地灌漑事業を実施以来営々として水稲栽培を続けてきた。昭和六十二年、永年の深刻な用水不足の解消と、圃場の大型化による営農近代化を図るべく県営圃場整備事業として起工されるに至った。用水は国営坂井北部開拓建設事業九頭竜川導水の給水を受け、その諸設備を完備した。総面積六六・七ヘクタール、総事業費六億一千八百万円である。かくして激動と苦難の時代を乗り越えて農業経営の基盤を確立した。ここに多年にわたりご指導ご協力を賜わった関係者各位に感謝するとともに、地域の発展を祈念し、記念碑を建立して永く後世に伝えるものである。 平成三年十月吉日 福井県 三国池上土地改良区

D20_0092.jpg


      福井県・三国(芦原)飛行場跡地      

三国(芦原)飛行場 データ

設置管理者:陸軍
種 別:陸上飛行場
所在地:福井県坂井郡芦原町(現・坂井市‎三国町池上‎)
座 標:N36°14′31″E136°11′28″
標 高:26m
滑走路:1,750mx300m(18/36)、1,800mx375m(13/31)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1943年 飛行場用地として買収
1945年 未完成のまま終戦

関連サイト: 
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この記事の資料:
現地の碑文
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
防衛研究所収蔵資料「陸空-本土防空-48飛行場記録 内地(千島.樺太.北海道.朝鮮.台湾を含む) 昭19.4.20第1航空軍司令部」


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