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指宿海軍航空基地跡地 [├空港]

   2011年6月訪問 2020/11更新  


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撮影年月日1947/09/18(昭22)(USA M489_1 127) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

鹿児島県‎指宿(いぶすき)市の東、鹿児島湾に「指宿海軍航空基地」がありました。

先頭のグーグルマップは現地の説明版(後述)と上に貼った航空写真から作図しました。

オイラの主観がかなり入っていますが、おおよそこんな感じと思います。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:指宿水上基地 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:400x75コンクリート 主要機隊数:中型2,0 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:各種用5,700平米 掩体:分散 

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紫マーカー地点。

現在はご覧の通りで県道238沿いに慰霊碑公園が整備されています。

公園には、「駐車場は休暇村指宿をご利用ください」と書かれていました。

駐車場はこのまま県道を南西に100mほど行ったところにあります(青マーカー)。

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入口入ってすぐの所にある案内図。

当時の防空壕の上を慰霊碑にしていることがわかります。

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赤マーカー地点。

防空壕の上はこのように整備されていました。

碑、説明版、殉職者名簿、展示物など並んでいます。

由来(全文)、指宿海軍航空基地は水上機の基地として昭和19年1月1日に開隊し第453海軍航空隊(旧 宿毛空を改編)の基地となり同年12月15日、第951海軍航空隊に統合され同隊指宿派遣隊となった。配備されていた零式水偵(三座)、九四式水偵(三座)、零式観測機(二座)にて索敵訓練及び対潜哨戒、船団護衛等の任務に従事していた。尚佐伯空の派遣隊が二式練艇にて大型機操縦の訓練と九州南方海域の対潜哨戒を実施していた。沖縄戦が始まると南西諸島方面索敵の要衝の基地となり水偵増援のための佐世保空、佐伯空、串本空、大湊空、偵察302飛行隊(瑞雲)等の派遣隊が飛来した。此の頃より未帰還機が出る様になった。昭和20年4月1日沖縄本島に米軍が上陸、4月下旬に至り制海権、制空権共に米軍の手に落ち、沖縄戦に於いてはやがて特攻機の不足から水上偵察機も特別攻撃隊として使用された。参加した水偵機は、零式水偵と九四式偵(北浦空魁隊、詫間空琴平水心隊)、零式観測機(天草空第12航戦、福山空琴平水偵隊)の三機種であった。尚当基地は3月18日、米艦載機の攻撃に始まり5月5日のB-29に依る爆撃で壊滅的被害を受けた。

指宿海軍航空基地哀惜の碑
君は信じてくれるだろうか
この明るい穏やかな田良浜がかつて太平洋戦の末期本土
最南端の航空基地として琉球弧の米艦隊に対決した日々のことを
拙劣の下駄ばき水上機に爆弾と片道燃料を積み見送る人
とてないこの海から萬感をこめて飛びたち遂に還らなかった若き
特別攻撃隊員が八十二人にも達したことを
併せて敵機迎撃によって果てた百有余人の基地隊員との鎮魂
を祈ってここに碑を捧ぐ

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      鹿児島県・指宿海軍航空基地跡地      

指宿海軍航空基地 データ

設置管理者:海軍
種 別:水上飛行場
所在地:鹿児島県‎指宿市‎東方
‎座 標:N31°15′42″E130°39′41″
滑走台:400mx75m
(座標はグーグルアースから)

沿革
1944年01月 開隊 索敵訓練、対潜哨戒、船団護衛等を行う
       沖縄戦が始まると南西諸島方面索敵の要衝の基地となる
       戦況悪化により、水上機も特攻機として使用
1945年05月 壊滅的被害を受ける
     06月 1日 指宿特攻基地の緊急整備実施

関連サイト: 
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
「21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ」


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