水戸北飛行場跡地 [├空港]
2011年12月訪問 2020/12更新
撮影年月日1946/03/16(昭21)(USA M75-A-5 6)■
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
茨城県那珂市にあった「水戸北飛行場」。
水戸飛行場の北西約15.5kmに位置していました。
歴史民俗資料館(紫マーカー地点)に「パイオニア」という当飛行場についての非常に詳しい冊子があり、
先頭のグーグルマップはこの冊子から作図しました。
■防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」
に当飛行場の情報がありました。
飛行場名 水戸北
位 置 茨城県那賀郡戸多村
規 模 要図
舗 装 ナシ
付属施設
収容施設 三〇〇名分
格納施設 掩体 有蓋三棟
摘 要 施設軍有
特攻機の拠点として20万人以上を動員して建設、
滑走路はなく一面に芝が張られましたが、完成目前で終戦。
終戦間際の時期、囮の木製戦闘機が数機置かれていました。
戦後、飛行場は開拓地として那珂市域では最も早く旧軍人に解放されたのですが、
飛行場建設の際立退きを迫られた地元農民が跡地の返還を要求し、入植者との土地を巡るいさかいがあったのだそうです。
赤マーカー地点。
飛行場入り口付近。飛行場外郭沿いに幅約3mの排水溝が現存しています。
茨城県・水戸北飛行場跡地
終戦前に練習機が数機が飛び立つのが目撃されたという記録があります
水戸北飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
種 別:特攻用飛行場
所在地:茨城県那賀郡戸多村(現・那珂市飯田)
座 標:N36°27′16″E140°26′38″
標 高:39m
面 積:300ha
(座標、標高はグーグルアースから)
沿革
1944年02月頃 着工(1943年?)
1945年08月終戦。その後開拓地として解放
この記事の資料:
パイオニア
防衛研究所収蔵資料「本土における陸軍飛行場要覧 第一復員局(陸空 本土防空7)」